2021年9月2日木曜日

読書会10年目(2021/4)に「家父長制と資本制」1年

2021年、読書会も10年目を迎え、上野さんの講演会もあった年。

10年目に入った読書会

2012年に始まった月一回開催のこの読書会も細々と続いていて、気がつくと10年目に入っていた。「継続は力なり」という言葉が頭の上の方で聞こえてくるような気がすることがある。

上野さんの講演会(2021/1/ 16)「家族という名の呪縛」

今年の1月にコロナ禍でオンライン開催になったが、この地で再び、上野千鶴子氏の講演会があった。元々、2012年の上野さんの講演会をきっかけに,この読書会は始まったので感慨深い。

そして今回の講演会後もこの読書会に新たに加わったメンバーもいて、すごく嬉しかった。この会が続いていてよかった!と思う。

「家父長制と資本制」を読み始めすでに1年

2020年2月から今も「家父長制と資本制」を読んでいる。コロナ禍でのお休みも少しあったもののもう1年以上、この本を読んでいることになる。やっと先週、第7章まで皆で読み進めた。

音読で皆で読むことで

キリのいいところまで順番に音読し、読み終えたところを皆で考察する(と言うと少し大袈裟だろうか?)というような進め方で読んでいる。さらっと読める本ではなく、よく立ち止まりながら、みんなと一緒だから私は諦めずに読み飛ばさずに読むことができるように思う。それでもわかったようなよくわからないところもある。

立ち止まって考える

立ち止まったところを一緒に考えている。その一緒に考えるところがまた面白い。自分がさらっと読んでしまったところに、誰かがそこはどうなんだろう?と声をあげてくれ、はっとして、やっぱりわかってないと思うこともある。そしてまた考える。

2019年9月23日月曜日

(2019/9/23)9月読書会 「ナショナリズムとジェンダー第一回」

 9/21の読書会に新たな参加者

いつもの会場でいつもの時間の読書会だった。
今回のテキストは、8月に”ナショナリズムとジェンダー”と決めていた。
いつものメンバーに一人、初めての参加者が加わっての会だった。
このテキストは、読書会のメンバーの一人があるイベントで出会った留学生がこの本で卒論を書いたという話を聞いて自然に決まった。

ナショナリズムとジェンダー  

読書会では、留学生の彼女の話に全員釘付けだった。
「どうして日本に来ることになったのか?」
「なぜ上野さんの”ナショナリズムとジェンダー”を卒論に選んだのか?」
「日本語はどうやって学んだのか?」・・・

”そもそも日本といえば、子供の頃「カードキャプターさくら」が好きで日本に興味を持ってから日本語も”という話もとても新鮮な驚きだった。

なぜ上野さんの”ナショナリズムとジェンダー”を卒論に?

母国の大学でも「ナショナリズムとジェンダー」について研究していて、4年前に
発表で来日した際に、上野先生の「ナショナリズムとジェンダー」を勧められ卒論で書くことにしたのだったという。

その頃、私たちは皆、実は日本語を母語としない人がこの本を読むことだけでも実はかなり驚いていた。

WAN(women action network)のサイトで

彼女は、この近郊でのfemist 関係の団体やイベントなどをWANのサイトで探していて、たまたま見つけたイベントに出掛け、そのイベントに来ていた読書会のメンバーに出会い、この会に足を運んでくれたということがわかった。それを知り、すっかりサボっていたWANのサイトにこの団体の掲示更新依頼をした。


2012年4月23日月曜日

上野千鶴子を読む会が始まった頃(2012 春)


上野千鶴子を読む会のはじまり

2012年春、この街で開かれた上野千鶴子氏の講演会。その会場で配布された「読書会へのお誘い」がきっかけとなり、この会は始まりました。以来、月に一度の集まりを続け、今年(2025年)で13年目を迎えます。

会の名前

立ち上げ当初に「上野千鶴子を読む会」と考えていました。2012年の講演会でそのことを上野先生にお伝えしたところ、「そんなこと、大丈夫よ」と笑顔で応えてくださったのがとても心強く感じました。

進行について試行錯誤

毎月土曜日の午後2時間ほど、前月の読書会で読むパートを決め、参加者が順番にテキストを読み、解釈や感想を自由に持ち寄るスタイルで始まりました。特定の指導者はおらず、誰かが疑問を投げかけると、それをきっかけに対話が広がり、自然に新しい気づきが生まれていきます。ときには社会問題や日常の課題に話題が及び、世代や背景の異なる参加者どうしの交流から新しい視点が得られるのも魅力です。

この読書会がしばらく試行錯誤の後、参加者が順番に声に出して本を読むという方法を取るようになり今に続いています。音読で読むと不思議なほど言葉の意味が心に沁みてくる体験を重ね、事前に本が読めなくても気軽に参加することができることも知りました。

特に「先生」がいないからこそ、誰もが気兼ねなく自分の言葉で自由に語れるのかもしれません。そして同時にどなたかが丁寧に読み込み深掘りしてくれることも多く、それにより読書の厚みも増しています。

最初の本は「上野先生、勝手に死なれては困ります」

第一回目は、カピオの会議室で、立ち上げた2人にチラシなどで6名が加わりました。最初のテキストは古市憲寿氏との対談『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』でした。参加者の出入りはありますが、そこからの出会いが、今日まで続いています。

こうして公共施設を主な会場にして、毎月の読書と対話を積み重ねてきました。この”本を皆で読む”というシンプルなスタイルで続けてきた読書会が、その後も月一回の土曜日、二時間ほど、参加者で交代しながら主に上野千鶴子の本を読み続けています。

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