さて、みんなで次は何を読む?
最初は、新作から

https://news.yahoo.co.jp/articles/b6389fd197366df451a78f39fe0ba1052f7a5b69
これまで読んできた「フェミニズムがひらいた道」を先月(2024/1月)に終え、まだ決まっていない次の本を決めることになっていた。何冊かを検討しながら”次のテキストは?’’から今日の社会の課題などへと話はどんどん発展した。
・別姓の家族を理解できない学校や苗字が違う家族を理解できない先生たちや役場の人たちもまだまだいること。多様性を求める社会は、絵に描いた餅のまま!根深い不理解。
・地域によっては「進学校に行かせたくない親がマジョリティ」の話。これまでもあった長男等に家業等を継がせるためや単に親の近くの地元に残るように勉学に興味と意欲を持っていても進学校に行かせたくない親。教育虐待の対極にあるようで実は同根かもしれない・・・
・教育を制限することは、こどもたちを次世代を地域に残す戦略なのか?そのことで、地方から都市への人口の流出や人口の集中はないというのか?
色々、皆で考させられた。
・格差は却って広がる社会となって「親ガチャ」などと称される社会に向かっているのだろうか?
*参考(男女共同参画条例・ジェンダー平等条例の各自治体状況)http://www.rilg.or.jp/htdocs/img/reiki/147_gender.htm
2012年に始まった月一回開催のこの読書会も細々と続いていて、気がつくと10年目に入っていた。「継続は力なり」という言葉が頭の上の方で聞こえてくるような気がすることがある。
今年の1月にコロナ禍でオンライン開催になったが、この地で再び、上野千鶴子氏の講演会があった。元々、2012年の上野さんの講演会をきっかけに,この読書会は始まったので感慨深い。
そして今回の講演会後もこの読書会に新たに加わったメンバーもいて、すごく嬉しかった。この会が続いていてよかった!と思う。
キリのいいところまで順番に音読し、読み終えたところを皆で考察する(と言うと少し大袈裟だろうか?)というような進め方で読んでいる。さらっと読める本ではなく、よく立ち止まりながら、みんなと一緒だから私は諦めずに読み飛ばさずに読むことができるように思う。それでもわかったようなよくわからないところもある。
立ち止まったところを一緒に考えている。その一緒に考えるところがまた面白い。自分がさらっと読んでしまったところに、誰かがそこはどうなんだろう?と声をあげてくれ、はっとして、やっぱりわかってないと思うこともある。そしてまた考える。
”そもそも日本といえば、子供の頃「カードキャプターさくら」が好きで日本に興味を持ってから日本語も”という話もとても新鮮な驚きだった。
2012年春、この街で開かれた上野千鶴子氏の講演会。その会場で配布された「読書会へのお誘い」がきっかけとなり、この会は始まりました。以来、月に一度の集まりを続け、今年(2025年)で13年目を迎えます。
立ち上げ当初に「上野千鶴子を読む会」と考えていました。2012年の講演会でそのことを上野先生にお伝えしたところ、「そんなこと、大丈夫よ」と笑顔で応えてくださったのがとても心強く感じました。
毎月土曜日の午後2時間ほど、前月の読書会で読むパートを決め、参加者が順番にテキストを読み、解釈や感想を自由に持ち寄るスタイルで始まりました。特定の指導者はおらず、誰かが疑問を投げかけると、それをきっかけに対話が広がり、自然に新しい気づきが生まれていきます。ときには社会問題や日常の課題に話題が及び、世代や背景の異なる参加者どうしの交流から新しい視点が得られるのも魅力です。
この読書会がしばらく試行錯誤の後、参加者が順番に声に出して本を読むという方法を取るようになり今に続いています。音読で読むと不思議なほど言葉の意味が心に沁みてくる体験を重ね、事前に本が読めなくても気軽に参加することができることも知りました。特に「先生」がいないからこそ、誰もが気兼ねなく自分の言葉で自由に語れるのかもしれません。そして同時にどなたかが丁寧に読み込み深掘りしてくれることも多く、それにより読書の厚みも増しています。
こうして公共施設を主な会場にして、毎月の読書と対話を積み重ねてきました。この”本を皆で読む”というシンプルなスタイルで続けてきた読書会が、その後も月一回の土曜日、二時間ほど、参加者で交代しながら主に上野千鶴子の本を読み続けています。
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